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江の島シーキャンドル(展望灯台)

懐かしい旧江の島展望塔(展望灯台)

1951年(昭和26年)から2002年(平成14年)までの長きに亘り、江の島の象徴として愛された旧江の島展望塔(展望灯台)。その歴史は戦中・戦後の混乱期からスタートします。

よみうり落下傘塔~読売平和塔

1940年(昭和15年)、読売新聞社が東京都世田谷区二子玉川に「よみうり落下傘塔」を建設。主たる目的は出征兵士などの訓練用の使用でしたが、民間施設のため、兵士以外の人による利用も多かったと言われています。
1945年(昭和20年)の終戦から2年後、片瀬町を編入し、観光都市への脱皮を図ろうとしていた藤沢市によって、江の島植物園の整備事業が着手されると、その総決算として江の島のシンボルとなるべき展望塔の建設準備に着手することになりました。
江ノ島電鉄における観光事業の中核を成すこの展望塔の建設は、当時同社の大株主だった五島慶太の着想によって決定したもので、終戦によってその必要性を失った前述の「よみうり落下傘塔」の転用が見込めたこともありました。
「よみうり落下傘塔」の撤去工事は、江ノ島電鉄(当時社名:江ノ島鎌倉観光)の発注により行われ、1950年(昭和25年)1月に完了し、また、戦争のイメージ払拭と平和を祈念し、江の島に建設する際の名称は「平和塔」とすることに決定しました。

よみうり落下傘塔~読売平和塔

建設許可申請

1949年(昭和24年)10月13日、神奈川県知事および同県教育委員会宛に建築許可申請を行いましたが、当時占領下の日本において、江の島のような史跡名勝地および風致地区内への施設建設にはGHQの意向が強く反映され、GHQ担当官から許可を得ることに苦労したと言われています。
その後、数次の折衝のすえ、GHQが平和塔の建設を容認すると、1949年(昭和24年)11月2日付でその建設に賛意を表明していた藤沢市の後ろ盾にも助けられ、1950年(昭和25年)8月15日に神奈川県知事より風致地区内、さらに同日同県教育委員長より、史跡地内への建設が許可されました。